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ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 273

なりゆき  2  ぴかろん

*****

イナはヨンナムの家の引き戸を開けようとした
鍵がかかっていた

しまった、自分は合鍵など持ってはいない…
せっかくここまで来たのになぁ…、裏口は開いてないかな…

イナはふらふらと裏口の方に回った
…ヨンナムのトラックが停まっている
と言うことは、もう帰ってて昼寝でもしてるのかな?
あんまり大変なご新規さんで疲れたのかな?

裏口は、やはり開いていた
静かに中に入り、ヨンナムの部屋の様子を窺う

「…ゃん…ちがう…」
「…ここ?」
「…んぁっ…あ…。ぅん…そう。そこ…」
「…いい?」
「ん…いい…」
「じゃ、これは?」
「ああっ!いたっ!」
「痛かった?ごめん…優しくする…」
「…あ…はぁ…あぁ…うぅ…」
「そんな声出すなよ…」
「…んふん…だって出ちゃうんだもん…あ…うまい…オッパ…上手…」

漏れ聞こえてくる声に、イナの心臓は大きな音を立てて鳴り出した

女の声…
急な客って…

その声をイナは知っている
幼い頃から聞いていた声だ
どきんどきんと体中に響きわたる鼓動に耐えながら、ヨンナムの部屋を覗く
チラリと見えた女の肩
横たわった姿

チョンエ…

ふらつきそうになるのを堪えた

…チョンエだ…
チョンエがいる…

横たわった女がチョンエだということは…多分ヨンナムはマッサージを教わっているのだ
いくら何でも、昼日中からあのヨンナムがチョンエと睦み合うなど考えられない
頭の芯は冷えている
だから二人が何をしているのか、解っている
なのに
急激に拡がった血管に大量の血液が流れ込み、こめかみや目の裏がずきんずきん痛む
チョンエの声が、まるで『その時の声』のように聞こえる
覗き見た二人は着衣しているというのに、頭の中で、二人は素肌を合わせて繋がっている…
自分の心が卑しく思え、イナは外に出ようと立ち上がり、何かに酷く体をぶつけた
痛みより、生じた音が気になった

「だれ?!」

パタパタとヨンナムが廊下に出てきた

「イナ…ど…どしたの?」
「え?イナ?」

ドダドタパタパタと、チョンエも顔を出す
キャミソールの肩紐がほんの少しずれている
イナの頭の中に、激しく絡み合う二人が映る

「驚いた」
「…」
「イナ…どうした?」
「…」
「…オッス、イナ。何日ぶりかな?えへへ」

チョンエがにこりと笑う
イナはぎこちなく口の端をあげて、笑い顔を作ってみせる
手に持っていた紙袋を上げ、これ、新作のパン、ヨンナムさん居ないと思ってたから、置いて帰ろうと思って…じゃあ…
去ろうとするイナにチョンエが駆け寄る

「待ってよイナ。ね、テス君に会わせて」
「え?」
「テス君に会いたい!」
「…」

テスに会いに来たのか?それが理由か?じゃあ何故俺でなく、ヨンナムさんのところに居るんだ?
問い質したいことは無数にあったが、口にすると途端に感情が綻び流れ出すとわかっていた
イナは奥歯を噛みしめたまま、曖昧な微笑みを浮べた

「ね、今から連れてってよ、casaだっけ?テス君のコワモテの彼にも会いたい!」
「…い…、今は…無理だ…」

息を詰まらせながら、イナは必死で答えた

「なんで?どおして?」
「…パン屋の…。パン屋の開店準備でその…新作のケーキ作りの話し合いで、集中してるし…」
「…そっか…。急に行ってもダメか…」

「チョンエ、明日僕が連れてってあげるよ」
「え?明日?」
「明日じゃダメなの?」
「明日は明日で色々予定があるもん!」
「じゃ、夜の配達の時…」
「夜になったらテス君ホ○トの仕事でしょ?」
「うん、だから『オールイン』に…」
「違う!ダメ!テス君とコワモテさんを一緒に見たいの!」
「…あ…そ…。なら配達を早めにして、casaの二人を見てからテス君と一緒に『オールイン』に行けば?その後イナのいるBHCにも行けばいいじゃん」
「お店めぐりは明日!」
「…」
「明日でないとダメなの!」
「…。なんでさ」
「…だって…お店巡りは、友達と一緒にしたいもの…」
「あの…」

イナが会話を遮った

「俺も今からちっと…テジュンと会うし…忙しいから…ヨンナムさんに連れてってもらえよ。夕方なら作業も一段落つくだろうし大丈夫だよ…。んじゃあ…」

パンの袋を一つ、廊下の端に置き、イナは裏口から急いで外に出ようとした
呼び止める声が聞こえ、イナは立ち止まる

「今夜チョンエの歓迎宴会するから、こっちに帰って来いよな」
「…。ああ…」

振り返らずに答え、イナは足早にそこを去った


「誤解しちゃったかなぁ」
「誤解?」
「僕とキミがえっちな事してたってさ、ふふ」
「そうね、オッパ、触り方がイヤラシイ」
「はぁ?僕はキミの言う通りにしただけだぞ!」
「ね、今夜、宴会するって…それ、どういうつもり?」
「え?何が?」
「酔わせてなんかするつもり?」
「へ?」
「…じいいいい」
「…見るなよ!」
「…。うーん。変な事は考えてないようね。言っとくけど、私、ホテル、ちゃんと予約してありますから!」
「…」
「ん?残念そうな顔に見えるけど…」
「…。別に…残念じゃないけど…」
「宴会、してもいいけど、ちゃんとホテルに帰るからねっ!」
「…僕んちに泊まればいいのに…」
「え?!」
「…」
「…」

ヨンナムとチョンエは、顔を赤らめて俯いた

*****

ヨンナムの神聖な…、いや、神聖だった場所に、イナはふらふらと辿り着いた
周りを取り囲む木々を見上げ細く息を吐くと、頭の中心から熱い涙が込み上げてきた

どうして俺は、テジュンにあんなに愛されていることで満足しないのか…
どうして、ヨンナムさんの新しい愛を祝福できないのか…
いつになったらこの想いは消えていくのか…
切り取られた丸い空を見上げてイナは真っ直ぐに手を伸ばした

ねえ
聞いてもいい?
俺って変な奴?
あれもこれも欲しがる欲張りな奴?
君は
あの人とテジュンの間にいて
二人とも欲しいと思わなかった?

ねえ
ずるいよね?
あの二人は同じ顔で同じ声で
性格が似ているようで似ていない
君は
戸惑わなかった?
君は
迷わなかった?

迷ったはずだよね…
二人から同じように愛されて
かたっぽは恋人の役割を果たしながら離れていき
かたっぽは友達の役割を果たしながらずっとそばにいた

俺は…
テジュンに愛されてる
ヨンナムさんには『友達』だって言われてる
うん、だから君とは立場が違うよね
ヨンナムさんに『愛されてる』わけじゃないもの…
でもあの二人さ、紛らわしいんだ…
同じ顔で同じ声なんだ
俺、あの人をテジュンと間違え続けてるのかな…
君はそんな事なかった?

テジュンじゃなきゃダメなんだよ
ほんとなんだ
なのに
どうしてだろう
あの人も欲しいって気持ちが消えない…
俺を振り向いてはくれないけど
欲しい…
それが正直な気持ち

君もそうだった?
どちらも欲しかった?
諦めなきゃいけないんだ
でも諦め方がわからないんだ
押さえつけても溢れてくる
離れたいのに離れさせてくれない…
どうすればいい?
俺は足掻いて、もがいてばかりなんだ…

チョンエの細い肩
柔らかで華奢な体のライン
愛おしそうなヨンナムさんの顔
見たことのない顔

腕を下ろして溜息をつき、泣くのを堪える
泣いたってしょうがない
消えやしない想いを抱えながら
俺はテジュンと歩んで行くしかない
テジュンにすまないと思いながら…

ごめん…テジュン…ごめんね…


イナのジーパンのポケットが震えた
携帯電話の画面にはテジュンの名前が示されている
イナは画面をみつめながら、電話に出ようかどうしようかと迷っていた
震えが止まり、イナは息をついた

どうしてお前の事を考えていると
お前はそうやって応えようとしてくれるのか
俺の気持ち全てを
お前に晒していいものなのか
俺にはわからないんだ、テジュン
傷つけるんじゃないか、悲しむんじゃないか…
お前の待つ答えを、俺は出せないんじゃないかって
待ちくたびれてどこかに行ってしまわないかって俺は…
欲張りだから…
怖くてさ…

イナが携帯に唇を寄せたとき、またぶるぶるとそれが震えた
おそるおそる、イナは電話に出る

『どこにいる?』
「え…。こ…うえん…」
『ヨンナムと一緒か?』
「あ…。う…うん…」
『大丈夫か?』
「うん…」
『メシ、食った?』
「…うん…」
『…変だな』
「…え…」
『声が変だぞ』
「…そんなこと…ないさ…」
『泣いてるんだろう?』
「ちがう…違うよ…」
『泣いてるんだ…一人で…こんなとこで』

そう聞こえたと同時に、イナは後ろから強く抱きしめられた
握っていた携帯電話が地面に落ち、イナは感情を抑えようと荒く引きつるように息をする
テジュンの腕が少し力を緩め、イナの体を自由にしてやる
イナの瞳に見る見る涙が溢れ、零れ落ちる
テジュンはただ、イナの名前を数度、優しく呼び、イナの体を支えている
イナの中に篭る感情を、全て外に出してやりたい…
想いが自分に向いていなくても、こんな風に、一人でちゃんと泣けないなら
自分が支えて泣かせてやりたい
そう思いながらテジュンはただイナの体を包み、あやすように軽く揺すりながらその背中を支えていた


長い時間、イナはずっと引きつったような息をしていた
涙は溢れているけれど、泣くのを堪えている
テジュンはそんな頑固なイナを根気強く待っていた
イナは、テジュンの腕を振り切ろうと強く動いた
来たな…、テジュンは思い、一瞬腕を外した
二、三歩、足を踏み出したイナは、そこに留まり俯いている
テジュンはイナの腕を掴み、イナの体を反転させて抱き寄せた
抵抗するのは後ろめたいからなのだろう、と考えながら、テジュンはイナの髪にくちづけた

「嘘つきめ」
「…」
「ヨンナムと一緒?泣いてない?大丈夫だ?…嘘つくな、嘘ついて何になる」
「…なんで…ここにいる…」
「知らない。なんでかな。来たかったんだ」
「…ほっとけよ、俺なんか!」
「ほっとけない。愛してるから」
「…俺なんか…俺なんかっ!」

イナの感情が一気に噴き出し、テジュンの腕の中で切り裂くように泣き出した
やっと泣いたか…、テジュンはほっとした


なりゆき 3 ぴかろん

林の中のその空間で脚を投げ出して座っていたテジュンは、泣き止んだイナの頭を自分の脚に乗せ、彼の髪を弄んでいた
イナは躊躇いながらも、先ほど見たヨンナムとチョンエの話をした
ふぅん…そう…と静かに答えるテジュンにとって、それは、さほど驚くことではないのだろう、イナはそう思った
その低い声がイナの感情を宥めた
それから、鼻にかかる甘えた声で、テジュンに仕事はどうしたんだと聞いた

「仕事…、サボってるな…」
「…会社に戻んなくていいのか?」
「今日の仕事は会社では出来ないからなぁ…」
「何?外回り?」
「うん、まぁね。ま、夜でもいいけどな」
「珍しいね、お前の仕事で外回るって」
「そうか?そうでもないぞ。たまに講師のスカウトなんかに回ったりするんだぞ」
「ふぅん…。じゃあ今日もスカウト?」
「え?…あ…うん…まぁね。でも、僕より適任で有能なスカウトが先に行っちゃったみたい…」
「へえ…そう」
「で、なんでお前はここに来たの?」
「え?」

それは…
何故だろう…
彼女と話がしたくなったから…かな…

イナは空を見上げて考えた

「ねぇ…」
「ん?」
「彼女ならどうするだろう…」
「何が?」
「彼女はヨンナムさんを好きだったんでしょ?」
「…ヤな事思い出させるなぁ…」
「好きだっただろ?」
「うん」
「彼女が今のヨンナムさんを見たら、どんな風に思うんだろう…」
「今の?」
「チョンエと仲のいいヨンナムさん…」
「…。つまり…。新しい恋をおっぱじめようとしてるヨンナムを見たらってこと?」

イナは唇をキュッと締めて頷いた

「…お前はどう思う?」
「…うーん…。…。彼女ってどんな性格だった?ヤキモチやき?」
「そうだなぁ。プイッと拗ねたりはするけど、それほど嫉妬深くはなかったなぁ」
「爽やか?」
「うん。ねちっこくはないね」
「なら、チョンエに妬いたりしないよね…」俺みたいに…

「うーん。もしさ、付き合ってる最中だったら、物凄く怒ると思うけど」
「そりゃ当たり前だよ、二股かけてるってことだもの」
「今だったら…」
「…」
「今、彼女は全く別の道に行っちゃって、ヨンナムと触れ合う事もできないわけだ」
「…うん…」
「でもきっと空から見守ってくれている」
「…うん…」
「きっと今でもアイツを愛してると思う」
「…うん…」
「だから…」
「…」
「頑張れって応援してるだろうな。そういう人だ」
「…」
「早く幸せになれって、ヨンナムの周りでハッパかけてるだろうな…ふふふ」
「俺も、そう言えるようになりたい…」
「僕も、お前がそうなってくれるといいなと思ってる」
「…」
「でもなぁ、今は無理だろ?こういうのは、じっくり時間をかけないと…。今のお前は『恋心』でいっぱいだもん、あいつへの」
「…そんなこと…」

イナは、近くに置いた紙袋に目をやった
通じない『恋心』があそこに押し込められている

「そんなこと…ないよ…」
「そうだもん、悔しいけど…。僕、解ってるもん」

平坦な調子でそう答えて、テジュンは高い空を見た

「お前の気持ち、解る。僕もそうだったから…」

テジュンは白い雲の上に、イナと同じ顔の、もう一人の愛しい男を思い浮かべる
イナもまた、テジュンと同じ男を思い浮かべた

「…。今は?…ラブのこと、どんな風に思う?」
「ん?…そうだな…」

きっと彼は…僕より僕の気持ちを理解しているのだろう…、テジュンはふと思った
自分の中のイナに対する愛おしさや、同じくらい感じている腹立たしさを、きっと彼は感じ取るのだ
自分が今、イナに見せている優しさの裏にある煮えたぎった厭らしさを、彼だけは見抜くことができるのだ
そして自分の全てをニコリと頷いて認めてくれる…あの子はそんな子なんだ…
果たしてあの子は今日の僕の『選択』を、褒めてくれるだろうか…『優しくて大人な僕』という…
いや、見抜くかな…

無理しちゃって
そんなにも好きなんだ、イナさんのこと

恨めしげな瞳で呟いて、頬を膨らませるだろう
ふん
お前の心はギョンジンで一杯のくせにさ…ふん

うふふと鼻先で笑い、テジュンはイナに少し眠れば?と促した
言われる前に、イナは既にまどろんでいた
なんだよ、僕がラブをどう思ってるか気にならないのかよ!とテジュンはイナの頭を優しく小突いた
ぅん…、小さな声が尖った唇から漏れた
トクトクという音がイナの耳に響き、温かく包み込まれたからだが弛緩していく
話を聞きたいのにぼんやりとぼやけていく意識に抗えない

少し眠れば?
目が覚めたら世界が変わっているかもしれないよ…

…ぅん…

テジュンが呟いたわけではない
自分が考えたわけでもない
そうなればいいのにな
そうなれば楽なのに…

*****

明るく輝く場所に、美しい顔をして微笑む少年が箱を持って立っている
彼はミンチョルにそっくりで、それがミンチョルなのかヒョンジュなのか、イナには解らなかった

―こんちは
―こんにちは
―お前、ミンチョルか?

少年は微笑むだけで答えない
イナは彼が大切そうに抱えている白い箱に目をやる

―何が入っているの?

答えはきっとこうだろう…
『一番欲しかったもの…』

―君の箱には何が入っているの?

少年は微笑みながらイナに問い返した
イナは自分の腕の中を見る
黒い箱がある
どきりとした

彼の箱は真っ白なのに、自分の抱える箱は真っ黒だ
何が入っているのか、知らないのに解っていた

―ね…、何が入っているの?
―お前の箱には何が入ってるんだよ
―僕の箱?ここにはね…

ミンチョルではない
ミンチョルはこんなに柔らかに微笑んだりしない
俺はこんなミンチョルを見たことがない
だからこいつはミンチョルではない

目の前の微笑があまりにも美しすぎて、イナは親友にそっくりのその少年を『知らない人だ』と思い込もうとした
いや…自分が知らないだけで、ミンチョルはもしかすると、いつもこのように微笑むのかもしれない
頭を掠めたその思考を、イナはわざと掻き消した

―ここに入ってるのはね…、『おうち』と…それから…『愛』

遠く澄んだ瞳で、少年は箱を見つめていた

お前、それを見つけたのか?
それでそんなに穏やかな微笑みを浮べているのか?

渦巻く嫉妬をイナは抑えた
少年の視線が自分に注がれる
少年は口を開かずにイナに問いかける

―君の箱の中は?
―…これは…

欲と、毒と、嫉妬と、そんな汚い心が閉じ込めてあるんだ…

―重そうだね。大事な物なの?
―…大事?
―だって、しっかり抱えてるじゃない…
―お前だって!

お前だってその真っ白な箱を大切そうに抱え込んでいるじゃないか!
少年に反発を覚え、イナは鋭く答えた

―うん。これ、届けなきゃいけないから…
―届ける?

ああ…ジンに?
お前は『ヒョンジュ』だから
自分を消してその箱だけをジンに残していった『ヒョンジュ』だから…

―うん。届けるの…。スヒョンに…
―え?
―僕はたくさん貰ったから、届けるの、スヒョンに…

何をたくさん貰ったんだ?愛情か?
贅沢な男だ
恋人にも天使にも愛されている
愛して欲しいと願った人から全ての愛を得ている
なんて恵まれた男なんだ、お前は…

突然意地の悪い気持ちが湧いてきて、イナはその少年に言った

―俺も『家』と『愛』が欲しくてたまらないんだ。俺に、それ、くれないか?

少年は首を傾げてイナを見つめ、それからコクンと頷いて、いいよと言った

―え?…スヒョンに届けるんじゃなかったのか?
―うん。スヒョンにも届けるの。でも君にもあげる。その箱を下ろして
―…え…
―その箱を下ろさなきゃ、この箱は持てないでしょ?

だめだ、下ろせない
この『真っ黒な箱』は、手放せないんだ
蓋を押さえていないと、俺の、真っ黒な気持ちが溢れ出してしまう
そうなったら俺はきっと何もかも失ってしまう

―その箱、いっぱいになってるから、蓋を開けようよ
―だめだ!
―開けた方がいいよ
―だめだ!
―開けなよ。大丈夫だから…
―イヤだ。傷つけてしまう!
―何を?
―大事な人を
―誰?
―テジュン…
―嘘
―え?
―怖いんだ
―…
―『自分』を見るのが…
―…『自分』?
―それは、君自身だもの…うふふ

なんだって?自分だって?
少年の言葉に衝撃を受けた
だがイナは知っていた
その箱の中身が『自分自身だ』ということを
なのにショックだった…
自分は、この少年のように、透明な存在にはなれない
この少年のように、あらゆる人を惹きつけることなどできない
『愛』と『家』を、彼はどうやって手に入れたのだろうか…

―お前、ヒョンジュなの?ミンチョルなの?!
―僕?
―…誰なんだ?お前…
―僕は、…君…
―え?

穏やかな微笑み
美しい少年
お前が…俺?

―その箱を捨てればいい

捨てたい
捨てたいけど捨てられない
あの人への想いが詰まっている
捨てたくない
しがみついていたい

―そんなにたくさんのモノは持てないから、持つものを選んだほうがいいよ
―え?
―それは不必要な箱
―…
―置いてごらんよ。それからこっちを持ってごらんよ。どっちが大切か、きっと気づくよ…

少年が差し出した真っ白な箱に、イナは片手を伸ばした
真っ黒な箱を片手で抱えたまま

持てないでしょ?
無理でしょ?
痛いでしょ?
どちらか下ろさなきゃ
どちらも壊れちゃうよ…

解ってる
解ってる
解ってる

―ここに置いておくから、その箱を捨てたら取りにおいでよ。大丈夫。盗まれやしない。ちゃんと守ってくれる人がいるからね

にっこり笑ってその少年は消えた
白い箱が置かれている
すぐ傍に、寂しそうな顔をした男が座っている
その男の顔を、イナは覗き込もうとした

知っている男だ
よく知っている…
顔を見たい
こっちを向いてくれないか?
俺を見てくれないか?

…ここにいるからね…

いきなり、イナは現実の世界に舞い戻る
テジュンの脚の上でまどろんでいたのだった
早い鼓動を隠すように飛び起き、イナはテジュンに聞いた

「俺、長いこと寝てた?」
「…え?あ…いや…。ほんの数分かな?」
「…ふぅん…」

穏やかな顔をしたテジュンを見つめる
なにさ、とテジュンは微笑む
イナはテジュンの頭の横に両手をつき、その顔を見下ろす
徐々に顔を近づける
テジュンはイナを見据えたまま口角を少し上げる
その唇めがけて、イナは唇を落とそうとした

触れそうになる瞬間、テジュンはフフフッと笑いながらそっぽを向いた
きょとんとしたイナを横目で見て、もう一度フフフッと笑った

「…キス…してほしくないのか?」


細長い闇  あしばんさん

目が覚めたのは
フロントからのモーニングコールを受ける前だった

ホテルの分厚いカーテンの隙間
おそらく睡魔に勝てぬ手で闇雲に閉めたその布の間から
細く白い光の線が、真っ直ぐに部屋を横切っている

半分脱ぎかけていたシャツは、僅かに腕に巻き付き
捨てられた子猫のように僕の脇にうずくまっていた

すべてが夢だったのではないか
そんな風に思ったのも、いつもの僕の部屋じゃないからだろう

目を閉じれば
まぼろしのように佇むドンジュンの影がよぎり
白いリネンに寝返りをうてば
ミンチョルの滑らかな肌を思い出す

そして、交錯する痛みは
守ってやれなかったヒョンジュの瞳へと…僕を追いやる

そう、僕は今日、彼を失う
失ったことを認められず
次第に、自分さえ見失っていく
完璧なジン

ようやく鳴った無用のコールを受け
朝食はいらないと伝えた

シャワーを浴びるために立ち上がり、腕からシャツを落とす

夕べ遅く、総支配人が届けてくれた着替えのバッグを開ける
チョンマンに頼んだそれは、適度に必要なものが…

いや、これは…

僕はその場で目を閉じた

シャツ、Tシャツ、ジーンズ
無造作に突っ込んであるブレスレットまで
いつもの僕の組み合わせだった

やはり、夕べのドンジュンは夢じゃなかったのか


・・・・・

目が覚めたのは、携帯の呼び出し音のためだった
ラブ君からだった

『おはよ、ドンジュンさん、寝てた?』
「うん」
『ごめん、ちょっと聞きたかったから』

ラブ君の話は手短かで、とても簡単なものだった
そして、僕の頭の中がブチッと音を立てた

いや、ラブ君にブチッときたわけじゃない

今朝、ラブ君のところにあのタヌキジジイ
つまり、パクのところの社長が電話をかけてきたらしい
ってか、いつの間にやら留守電に爺さんの伝言が入ってたらしい

「何てっ?何て言ってたの?」
『たまにはメシでも食おうって』
「それだけ?」
『それだけだけど、ドンジュンさんと関係あんのかなと思って』
「僕?」
『うん、ドンジュンさん関係なら断れないかなと思ってさ』
「ううん、たぶん関係ない」
『ならいいや、放っておこっと』
「うん…」
『伯父さんとこの仕事、うまくいってる?』
「うん…今のとこ」
『そ、じゃよかった、それだけ』
「わざわざありがと…」
『じゃぁね』

携帯を切って、ムカッパラが立ってきて
頭の中には、あの食わせ爺さんじゃなくて
冷静でゴザイマスっていう目の「未成年インコー男」の顔が浮かんだ

パク・ウソクっ!
もうラブ君に手出ししないって言ったのにっ!

僕はベッドを飛び出して
その辺りに散らばってた服を手にした

・・・・・

「はい、ジン、もうちょっと後ろです」
「照明さん、奥もうちょっと落として」
「あのね、ジンの左目に髪をひとすじ垂らしてくれる?うん、そんな感じ」
「部屋から漏れる光、下げられる?」

病院の地下室のセットは
近くのIT関係の会社の地下室を借り組まれている

暗く長い廊下
ひとり佇むジンは
白い灯りを吐き出しているその部屋に入ることができずにいる

実際にその部屋の中には何もない
ただ、撮影用のライトが組まれているだけだ

でも、ジンの目には僅かに見えているはずだ
中途半端に開かれたそのドアの向こうに
スチール製の寝台の冷たそうなキャスターと
醒めた白い布切れの端

大した準備の手間ではないのに
時間が大幅に押したのは
僕の準備ができるのを、シン監督が辛抱強く待ったせい
「スヒョンさんがいいって言うまで撮らないから」
クランクインしてこの方、口癖のようになっているその台詞は
決して口先だけでないことは、充分にわかっている

僕は、その廊下の指定された場所に立ち
深く息を吸った

・・・・・

パクの会社のエレベータの透明な感じに、今日は苛つく
みんな見透かされているみたいだ

パク・ウソクは会議中だと言い張る受付の女の子を
散々困惑させて、無理矢理上に通させた
最近すっかりお馴染みになったその子を困らせたいわけじゃないけど

わかってる
いつもの僕ならここまでやっただろうか
いや、いつもの僕のような気もする

何だか…そんなことにも鈍感になってる自分が
情けない

「1分だけだ」

会議室から出てきたパク・ウソクは、あからさまに迷惑そうな一瞥を投げてから
側でオロオロしている秘書の男性に下がるように合図をした

「ちょっと、あんた、約束破ってくれたでしょ」
「何のことだ」
「あんたの従弟のことだよ!もう手出ししないって言っただろうがっ」
「さっぱりだな」
「じゃ、あのタヌキ親父に言っといてくれっ!約束破んなって!」

ヤツは、廊下の真ん中にエラソーに立ち
片手の指で唇を触りながら、何やら考えている風だったが
ちょっと肩をすくめてから口を開いた

「呆れた男だ、そんなことを言うために来たのか」
「ああ、そんなことが僕には重要だって初めに言っただろっ」
「僕の時給は君の10倍だ」
「は?」
「そういう人間を仕事中に引っぱり出すなら、それ相応の話にしろ」
「金に代えられる話じゃないんだよ」
「あと30秒だ」


・・・・・

「アクションッ!」

その、暗闇にポカリと空いた明るい口に
ヒョンジュの叔母が吸い込まれていった

僕は、ゆっくりと…
それがゆっくりなのかどうかさえも判然としないけれど
僕はそこへと足を動かしてみる

その先はずっと奥まで
これを縦にしたのなら、天というところまで届きそうな長い闇
遥か遠くの消火栓の赤いランプが
唯一の命のように、壁にしがみついている

結果的に
打ち合わせをしていた場所まで辿り着くことはできなかった

廊下を横切る部屋の灯り
冷たそうなリノリウムのその影と光の境目で、僕の足は止まった

靴の先だけに光が当たっている
目は、その光の線を辿り
僅かずつ部屋へと動く

そして、ドアの蝶番で視線は止まった
ヒョンジュの叔母の、籠った泣き声が聞こえたからだ

撮影前まで、繰り返し想像していたヒョンジュの姿
ごわついた布の下
額にかかる細い髪
長いまつげ
色のない唇
白い喉
なだらかな胸

そんなものを思い出すことなど、できなかった

ただ僕の目は
錆びついた蝶番が、ほんの少しだけ傾いているのを
ひたすら凝視しているだけだった

その他の感覚は、とうになくなっている

・・・・・

腕組みをしたパク・ウソクを、持てる限りの力で睨んでやった

「今度彼にちょっかい出そうとしたら」
「したら?この仕事から手を引けと?」
「ああ」
「ずいぶん強く出たな」
「何だかんだ言いながら、お宅の会社がこのプロジェクトで
 一番弱かったソフト部門の欧米浸透を狙ってることくらいわかってる」
「ははぁ、バカじゃなさそうだな」
「そりゃどうも」
「で?手を切って我が社からのあらゆる恩恵を吐き捨てると?」
「ああ」
「ふん、やっぱり甘いヤツだな、うちはお子様株式会社じゃないんだよ」

その整った顔を張り倒したいと思ったのは、何度目だろう
最大級の努力でそれを堪えて、僕は踵を返そうとした

「君は、諦めなきゃいつか何とかなると思ってるんだろう」

肩越しに飛んできた言葉に、僕の足は止まった

「そういう顔だな、おめでたい男だ」
「何が言いたいんだよ」
「信念を通せばすべてうまく行くんだろ?」

ヤツは、自分のスーツの胸の辺りを中指でトントンと突いた

「ここばかりが頑張ったって、手に入らないものもあるってことだよ」

ズキリとくるものを感じて、顔を凝視してると
今度は、その冷たい微笑みが「時間だ」と言って踵を返した

同時に胸ポケットで震えた携帯にどきんとする

出るつもりもないまま手に取ると
ディスプレイにはハリョンの名が出ていた

体調が悪いと言ってたハリョンの携帯から
通話を押すと、明らかにハリョンとは違う女性の声がした

「あの…?」
『わたくし、※※総合病院の看護婦ですが』
「は?」
『ハリョンさんが、あなたに連絡するようにと』
「ハリョン、どうかしたんですか?」
『倒れられて、こちらに運ばれました』
「倒れたって…」
『ご安心下さい、緊急性のものではございません、おいでいただけます?』
「あ?ええ、直ぐに行きます」

堅くも柔らかくもない早口が、病院の場所を伝える

「え?どこですって?」
『産婦人科の窓口においで下さい』
「婦人科?」

僕の頭の中を、幾つもの想像が駆け巡る

通話を切り、身体の向きを変えると
すっかり忘れていたパク・ウソクがまだそこに立っていて
思いがけない言葉を発した

「近くか?」
「は?」
「近くの病院かと聞いているんだ」
「いや…※※病院」
「来い」
「え?」

ぼんやりしている僕の肘を乱暴に掴み、秘書の名を呼ぶと
秘書室から、まだオロオロしている男性秘書が飛び出て来た

「会議室には急用ができたと言っておけ、車は回してあったな」
「はい、昼食会は…」
「キャンセルだ」
「ちょっと!何だよ!離せってば」
「先日の借りを返してやる」

僕はヤツに掴まれたまま
半ば引きずられるようにエレベータに向かった


なりゆき 4 ぴかろん

*****

僕の可愛い男が、生意気な口を利いている

「ふ。そんな唇、いらないな」

意地悪を…
これぐらいの意地悪を…
しても罰は当たらないだろ?

「だってお前の心はここにないんだもの。そんなキス…欲しくない…」

少しばかり冷やした気持ちを混ぜて、テジュンはイナに言った
尖った唇が僅かに窄まる
さて、どう出るだろう
どうせ泣くのさ
また謝るのさ
消えない、消せないと嘆き続けるのさ
その間、僕は耐えるしかない
だって失いたくないから…

イナは強い光を宿した瞳でテジュンを睨み、片手で彼の顎を掴んで自分の方を向かせた
そして噛み付くようにキスをした

おや、どうしたことだろう…
泣き虫のイナがこんな事をするなんて

冷静であることを、泰然としていることを選んでいたテジュンは、イナの行動に驚いた
さっと唇を離して自分を睨みつけているイナに、余裕のあるふりをしながらテジュンは言った

「ふ…。なによ。珍しいことするなぁ」

なんだ、思ったとおりじゃないか。瞳が涙で潤んでいる
ほら、揺らせばすぐに泣くくせに、生意気だな、お前…

意地悪な心が顔を覗かせている
自分は大きな人間などではない
苛めて泣かせてやろうか…
泣いたら抱きしめてやるぞ…

案の定、イナの瞳からポロリと涙が零れ落ちた
その瞬間が堪らないと、テジュンは楽しんでいた

「なんだよ。僕をアイツの身代わりにするなよな」

思い切り意地悪く、テジュンは呟いた
イナの涙の雨が自分にポトポトと落ちてくる事に、妙な優越感を感じた

「…てじゅは優しくしなきゃだめなんだっ」
「…え?」
「てじゅは俺に優しくなきゃだめなんだからっ!」

泣き声でそう叫んで、イナはテジュンの胸に突っ伏して泣きじゃくった
なんなんだ、この男は…
予想外の言葉だった
ごめんねって謝らないの?
お前を苦しめてばかりでごめんっていつものように…
面食らったテジュンは、青空を見上げた

ふ…
どうよ…
見てる?
羨ましい?
僕、こいつに必要とされてるのかなぁ…
いいだろ?…僕、幸せそうだろ?
ふ…は…
参ったな…
優しくなきゃだめなのか?
この野郎…勝手な…

珍しく我儘を言ったイナを愛おしいと思いながら、それでもまだ半分かそれ以上ヨンナムを向いている彼の気持ちに心を抉られる
しょうがないな…今は僕の方がコイツに惚れてるんだから…
しょうがないよね
…酷いヤツ…

「ふふふ…ふはは…あは…もう…まいったなぁもう…」

笑い声を立てながら、テジュンは喉の奥に込み上げる熱い塊と、滲み出す涙を拭うのに必死だった
何故自分が泣かねばならないのか…
きっとそれも、もう一人の、あの愛しい男なら、嗅ぎとって認めて、そして流してくれるのだろう

*****

「知らないよ、怒られても」
「いいの。早くテス君に会いたい」
「っていうか~、怒られるの、僕だよなぁ…」
「テス君、幸せよね?」
「怖いんだよな、チェミさんの凄み…」
「前より可愛くなってたらどうしよう…ちょっとイヤかなぁ…」
「ああ…こんな早く水を持ってくるなとか言われたらどうしよう…」
「ちょっと!何ぐちゃぐちゃ言ってるのよ!」
「だって…」

突っかかるチョンエをちらりと見てトラックを停めたヨンナムに、チョンエは更に突っかかった

「んもう!オッパの意地悪!早くテス君とこに連れてってよ!」

パシンパシンと肩の辺りを叩き捲くるチョンエの細い腕をガツッと掴み、ヨンナムはムッとした顔をした

「着いたから車を停めたの!…ったく。細いくせに力強いんだから…」
「は…放してよ…」

呟いた声が弱々しくて、ヨンナムはドキリとする
それから潤んだ目でチョンエを見つめ、そっと手を緩める
頭をぶるりと振って、強い欲望を蹴散らす

「痛ぁい…覚えてなさいよ!」

チョンエは膨れっ面をして助手席から降りた
ヨンナムも慌てて車を降りる
そしてcasaの裏口へとチョンエを案内した
チョンエは珍しそうに裏のガレージを覗いた
ヨンナムの後について、工房の扉の前に立つ

「んにゃ?!んにゃにゃにゃ?」
「うわっびっくりした…。はるみちゃん…(^^;;)あの…この人、テス君の昔の彼女で…」
「うわぁん可愛い猫ちゃんっ。はるみちゃんって言うのね?こんにちは~。あなたテス君の猫ちゃん?」
「んにゃ~。にゃんにゃにゃんにゃ~、にゃにゃんm(__)m」
「ふぅん、ここのアイドルなわけね。私、チョンエ。よろしくね(^o^)」
「んにゃっ(^o^)」
「…猫と喋れるの?!」
「普通喋れるでしょ?」
「いっ…」
「ねぇはるみちゃん」
「にゃ!(^o^)」

工房のドアをノックすると、ドタドタバタという足音が聞こえる
チョンエはヨンナムの背中に隠れる

ばったんこー☆
「どなたさま?あれ?ヨンナムさん…。イナさんならとっくの昔に帰ったよ」
「あ…うん、知ってる。会ったから…」
「会ったの?ご飯食べたの?」
「ううん…あの…パンの余りかなんか貰えないかなって(^^;;)」
「…イナさんの新作パン、貰わなかった?『恋ぱん』っての」
「は?『恋ばん』?…そう言えばなんか紙袋置いていったけど…まだ食べてない…」
「…。ひっどぉぉい!<(`^´)>イナさんの気持ち、ちっともわかってないし!」
「…え…」
「そんな人にあげるパンはありませんっ!<(`^´)>」
「あ…の…」

「てすくぅぅ~ん」

ヨンナムの後ろからチョンエが飛び出し、テスの首に巻きついた
突然の出来事にテスはフリーズしている
工房扉を振り返ったチェミは、更に凍り付いている

「会いたかったぁぁ(^o^)」
「ちちちち…チョンエっ(@_@;)どどど…どうしたのっ?なんでヨンナムさんと?!」
「んー、ちょっと仕事の関係でぇこっちに来る用事があったのとぉ、ついでにオッパにマッサージ教えに来たの」
「オッパ?!まっさーじ?!(@_@;)なんで?なんでヨンナムさんがオッパなの?!どゆこと?!チョンエったらヨンナムさんと…えっ?(@_@;)ええっ?(@_@;)」
「僕って何かのついでだったの?(@_@;)」

チョンエは背後で呟くヨンナムに肘鉄を食らわしてテスに答える

「やーねー違うわよ!オッパにも用事があったんだけどぉ、ホントに仕事があってぇソウルにぃ…」
「(@_@;)ボク、何がなんだかよくわかんないっ!」
「…。怒ってる?」
「…怒ってないけど…」
「突然来てごめんね…。明日は私、仕事があるから今日しかなくってオッパに無理言って連れてきて貰ったの…」
「…」
「ごめんね…」
「…いや…ううん…ボク、面食らっちゃって(^^;;)…」

だってヨンナムさんを『オッパ』と呼んでいるなんて…、テスは軽いショックを受けていた
あーげほんげほんうぉっほほん…、テスヤ~、これでいいのかな?お?このデコレーションはこれでよかったのかなぁ?…
背後からチェミの声がした
チョンエはテスの肩越しに見える男の大きな背中をキラキラした瞳で眺めた

「テス君、彼が『彼』?」
「(@_@;)いっ?えっ…あ…ぉん…(^^;;)」
「いやぁぁん…。デカい…」

ぴくり
チェミの背中が微妙に引きつった

「何が?背中?心?それとも…」

顔?と聞こうとしたテスにチョンエが言う

「器」
「…(@_@;)…」
「デカいでしょ?人間としての器」
「…(@_@;)あ…ぉん…」

ひくひく…
チェミの背中が照れてひくつく

「…あれ?そうでもない?」
「…あ…の…ちゃんと紹介する(^^;;)。ちぇみぃぃ…あの…その…チョンエ。あのその…ボクの昔のぉ…」
「よおこそcasaへ!私の本名はクォン・テクヒョン。皆にチェミと呼ばれ、親しまれておりますっ!元某国工作員・コードネーム『黒蜘蛛』と呼ばれ、荒んだ生活をしておりましたが、ホ○ト祭会場に潜入中にこのそのあの…仔猫…いやそのっ…てててテス君に荒んだ心を癒されまして…あのその…えっと…つまり…。すまんっ!」m(__;;)m

チェミはチョンエに土下座をした
テスはびっくり顔でチェミを見下ろし、チョンエはきゃあきゃあ言いながらチェミに頭を上げてよ、やだぁぁ~としゃがみ込む
チェミの過去らしきものと、テスとチェミのなれそめらしきものを初めて知ったヨンナムは多少驚いたものの、それよりもしゃがみ込んだチョンエの後姿が気になって仕方がない

「なんで謝るの?謝らないでよ。そんなことよりテス君をシアワセにしてくれて有難うテクヒョンさん」
「…」
「私はテス君を待ちきれずに済州島に行っちゃったんだもん。ごめんねテス君」
「(@_@;)あ…う…いや…そんな…」
「でも、私が済州島に行かなきゃ、テス君とテクヒョンさんはムフフになってなかったのよね?だっからぁ私はぁテス君達のキューピットよね?ね?」
「「あいう~」」
「そよね?オッパ」
「…。え?何?」

話を振られたヨンナムは、慌てて目を泳がせた
立ち上がったチョンエは怖い顔をしてヨンナムの瞳を覗き込み、イヤラシイ!と呟いた
膝をついていたチェミは、チョンエを見上げ、それからテスを見た
テスはエヘヘと笑い、チェミを抱き起こした

「なんでボクがいやらしいのさ…」
「ほらっ!目が泳いでるっ!どこ見てたのよ!」
「え…だって、健康なオトコなら、やっぱり見るトコはその…」

ばちぃぃぃん☆

「「あうっ(^^;;)」」

テスとチェミは思わず自分の頬を押さえる

「痛い~(;_;)酷い~(;_;)空港まで迎えに行ってやったのにぃぃ(;_;)」
「変な想像しないでよっ!」
「変なって…。…。…。あ…えへ」
「しないでって言ってるでしょ?!」
「してないって…痛いっ!痛いからやめれっ」

チョンエはヨンナムの両頬を思い切り抓っている
テスとチェミは、こういう光景を見たことがあるなと言い合った

「女王様とドレイだね」
「この二人もそうなるのか?」
「(^^;;)わかんない…(^^;;)」

くるりと振り返ったチョンエに、テスとチェミは再び緊張する
チョンエは遠慮なしにチェミの瞳をじいっと覗き込む
抓られた頬を擦りながらヨンナムは、どぎまぎしているチェミを見つめた
いつもとまるで違うチェミが楽しかった

審査中…

そんな言葉を思い浮かべ、俯いてククッと笑うと、チョンエが怖い顔で振り返り睨み付ける
ヨンナムがペロリと舌を出すと、チョンエはへの字口になった

可愛いな…

心が弾んでいるのが解った
可愛いな…怖いけど…
ヨンナムは優しい微笑みを浮かべた

「じいいい」
「あう…おほん…げほん…」
審査中…
「…あの…チョンエ…(^^;;)二階でお茶でも…(^^;;)」
「よし!」
「は?」
「とってもいい人だわテス君!人を見る目、抜群ね」
「あ(^^;;)…えへ…」
「ぅおほん…」
「お顔が少々大きめだけど、テス君の可愛らしさが引き立てられてグーよ(^o^)」
「げほっ…」「(^^;;)」
「テス君をよろしくお願いしますm(__)m」
「あい…あう…はいっm(__;;)m」

チェミとチョンエは深々と頭を下げた
その光景を、テスとヨンナムは微笑ましげに見ていた


なりゆき  5  ぴかろん

*****

「美味しいじゃん、チョコ自体も美味しい♪」
「…」
「ん?」
「またはずれだ…」
「はずれって?」

イナはテジュンと『恋ぱん』を試していた
テジュンはチョコレート入りを取り、イナはまた苦いパンを選んでしまった
もう一個ずつ選んで食べてみたが、やはりイナは苦いパンだった

「んふ。チョコ入り、分けてやろうか?」
「うんっ♪」
「口移しだ。もぐもぐ…」
「(@_@;)いらないっ!」

ひとしきりじゃれた後、イナはテジュンに『箱の夢』の話をした
話を聞いた後、テジュンはイナの頭を撫でながら言った

「黒い箱か…。僕にもあるな…その箱」
「…そ?」
「うん。捨てるの、怖いよね」
「…」
「けど、蓋は開けておいていいよ」
「え?」
「いいんだよ、狡かったり悪かったり捩れてたりでさ」
「…」
「さっきみたいに我儘言ってもいいんだよ」
「…なんでそんなに…優しいの?」
「え?だって僕はお前に優しくしなきゃダメなんだろ?ふふ…」

優しいのかな?
そうかな…
そうでもないさ…

テジュンは微笑んでイナの肩を抱き寄せる

「お前、今日仕事行けるの?」
「行けるよ」
「こんな涙目で?」
「…涙目の時は、それはそれでウケるんだからいいの!」
「そっか。あ、それと、チョンエさんの歓迎会するとかってヨンナムが言ってたけど…」
「…なんで知ってるの?」
「えっへっへ。実はここに来る前にヨンナムに電話したんだ。丁度お前がヨンナムんちから出たぐらいだったかな?フラフラ歩いているお前を見つけて、そのまま尾行したのよフフフ」
「…そうだったのか…だましゃれた…」
「別に騙してなんかいないだろ?心配だったんだよ、お前が」
「おれは、だましゃれたんだ…」
「おい、こら。僕はお前に優しくしてるんだぞおい!」

じゃれあうのが楽しいとイナもテジュンも感じていた
触れ合っていると、心の隙間が埋まるような気がした

「ずっと優しくしてくれるのか?」
「うん…」
多分…
「ヒョンジュが置いた箱のそばにいた人って…お前か?」
「…そうかな。そうだと思う」
多分…
「黒い箱、蓋…開けてもいいのか?」
「…うん…」
だって初めから開いてるぞ…
僕の前では初めから…

テジュンはまたイナを抱き寄せて髪にキスをする
きらいにならないのか?腹が立たないか?可愛らしく問い続けるイナに答える代わりに、テジュンはイナの髪に何度もキスを落とした

*****

腹立たしいに決まってるだろ?
こんなに愛してるのになぜヨンナムばかりに目が行くんだよ!
もういい加減に諦めろよ

それは僕の中の黒い箱に詰まったイナへの思い
厳重に鍵をかけて置いてある
底の方に、ラブへの欲望も入っている
それとヨンナムへの嫉妬もね…

ずっと持ち続けてきたあいつへの嫉妬…
散らしたくてたまらなかった気持ち…
散らないんだ…
消したと思ってても次から次へと湧いてくるんだ…

イナ…
僕もお前も同じ男に対する気持ちを自分の黒い箱に詰め込んでるね
捨てたくても捨てられない
あいつへの気持ちだけが詰まってるなら、簡単に捨てられるのに…
いや、捨てられると思ってたのに…
捨てても捨てても戻ってくるんだ
一生抱えていかなきゃならないのかって感じるよ
ずうっと前から持ってたんだぜ、僕は…
その箱に、ラブへの思い…これは欲望ばかりだけれど…とお前への苛立ちが入り込んで、僕はこの箱をますます捨てられなくなっている

こんなに厳重に鍵をかけているのに、何故か時々隙間から漏れてくる
僕の気持ち
僕の真っ黒い気持ち…
今も流れ出てるんだよイナ…
僕が優しい時は注意しなよ
仮面を剥いだら真っ黒なんだから…

真っ黒な僕は、毎日思う
ヨンナムにはお前を受け止められない
必ず僕のところへ戻ってくる
解っているからいつまでも待てる

どうだ?こんな僕を「優しい」と思うか?

頭の隅をチラチラ掠める醒めた言葉を
僕はちゃんと自覚している
けれどイナを見つめていると
愛しさが醒めた言葉を覆い隠す

こんなものなのか?ギョンジン
お前はもっと純粋にラブを想っているんだろうか?

「俺の傍にいて…ずっと傍にいて…あの人に会いたくない…会わなければ忘れられる」

僕は答えずにその唇を塞ぐ
甘えられる喜びと、甘えるイナへの小さな憎悪が僕の内側に生まれる
いつもの事だ
お前がヨンナムを思うようになってから繰り返されているいつもの事…

会わなければ忘れられる?

そうはいかないさ
会わないではいられない
あいつはお前に会いに来る
お前はあいつの「大切な友達」だから
今夜もお前はあいつのもとへ行く
そこであいつの「新しい恋」を見守らなきゃなんない
辛いぞ
僕も辛い
お前が傷つくのを見るのが辛いんじゃない
お前がヨンナムを思うのを見るのが辛いんだよ、わかる?

戸惑い怖れながらあいつの前で恥らい、涙を浮べるお前を想像する
その気持ちが解る僕と、その気持ちを嫌う僕

簡単に「想い出」になんてできないだろう?
苦しいだろう?僕に申し訳なく思うだろう?
面白い
楽しい
そして辛い…

『…てじゅは優しくしなきゃだめなんだっ!てじゅは俺に優しくなきゃだめなんだからっ!』

また涙が溢れる
僕はお前に本当に優しくできるのだろうか…
あっちを向いているお前に本当に優しくなんて…

曝け出した方がいいの?
お前、僕を受け止められる?
待て
まだだ
イナの準備が整っていない
僕は、『優しいふり』を続けて
お前の準備を待つ
僕の気持ちもわかって欲しいと
僕は強烈に思ってるんだよ、イナ…

『イナは僕に優しくなきゃダメなんだ!』

口に出せない言葉を心で呟いた

















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